政治・社会詳細

News Navi
loading...

 「こんなに早く...」と惜しむ声も 日野原重明さん105歳で逝く

2017年8月 6日号

「死は生き方の最後の挑戦」。そんな"座右の銘"にふさわしい最期だったという。
 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが7月18日、呼吸不全のため死去した。105歳。3年前に心臓弁膜症を患い、今年3月には消化器系の機能が低下したものの、延命措置を拒否。自宅療養を選び、同居する次男夫婦に看取られた。
 穏やかな最期とは対照的に、その人生は波乱に満ちたものだった。太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年に同院に赴任、東京大空襲ではトラックに積まれた負傷者を目の当たりにした。70年には「よど号ハイジャック事件」に遭遇し、機内で乗客のケアにあたる。95年に地下鉄サリン事件が発生した際は、同院院長として一般診療を中止し、被害者を受け入れた。
 一方で、54年には民間病院として初の人間ドックを開設。70年代には「生活習慣病」という呼称を生み出すなど、日本の医療界に残した功績は大きい。100歳を越えても病棟を回り、現役を貫いた。
 医療分野にとどまらない多芸ぶりでも知られた。88歳でミュージカル脚本「葉っぱのフレディ」を書き、90歳で出した著書『生きかた上手』がベストセラーになると、98歳で俳句を始める。ついた異名は「高齢者の星」だった。親交のあった俳人の金子兜太さん(97)がこう明かす。
「電話をかけてきて滔々(とうとう)と俳句論を語ったり、ひょいと手紙をくれたり。俳句のセンスもあって、気楽な付き合いながら収穫は多かったな。これほどスケールの大きなお医者さんはいませんよ」
 だからこそ「大往生とは言いたくない」とも。日野原さんなら、110歳の壁を楽々越えると信じていたからだ。
「サービス精神の塊だったから、"いい人疲れ"したのかな......。こんなに早く宝物を失って、涙が出るよ」(金子さん)
 超高齢社会に「挑戦」し続けた人でもあった。
(菊地香)

政治・社会

くらし・健康

国際

スポーツ・芸能

対談

  • 艶もたけなわ

    田中麗奈 女優

    2018年5月20日号

    阿木燿子の艶もたけなわ/202   清涼飲料水のCMで初代イメージキャラクターを務め...

コラム