政治・社会詳細

イチオシ
loading...

慶應大学病院凋落の全貌 第2回 慶大閥はなぜ崩壊寸前なのか

2016年12月25日号

深層スクープ
「私学の雄」で何が起きているのか! 慶應大学病院凋落の全貌 第2回 慶大閥はなぜ崩壊寸前なのか

 1920(大正9)年の開院以来、医学界では東大閥と双璧をなすとされてきた「医学部慶應閥」。ところが、現在の慶應大学病院には、その栄光の残滓(ざんし)を見るにすぎないのだろうか。連載第2回では、弱体化が止まらない慶應閥の現状をリポートする。

 前回は慶應義塾大学医学部と慶應義塾大学病院を覆う「ガバナンスの欠如」についてリポートした。
 だが、ここ10年にわたる凋落(ちょうらく)の根はほかにもある。すなわち、この統治能力の欠如に加え、巨大OB組織・三四(さんし)会の少なからぬ会員らが声を大にして問題視している慶應医学執行部の「戦略の不在」である。
 2013年6月15日に開かれた当年度三四会定例評議員会。筆者が入手したこの日の議事録には、当時の末松誠医学部長による〈医学部・病院報告〉が次のように記されている。
〈医学部長から、自身の抱負として、アジアの中で埋没しつつある義塾からの脱却を目指して、人造りに励み、財の独立、教職員とのひらかれた議論等による塾の活性化に関する基本方針について報告があった〉
 しかし、現実には「アジアの中」どころか「日本の中」ですら埋没しつつあるというのが、「私学の雄」の頂点に立つ慶應医学の偽らざる実情である。
 それを婉曲(えんきょく)に表現せざるを得なかったところに事態の深刻さがうかがえるが、続いて表明された「財の独立」にはさらに深刻な台所事情が見え隠れしている。
 創塾者である福沢諭吉翁は『学問のすゝめ』の中で「自ら心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり」と説いた。ところが、ここ10年におよぶ慶應医学は、「独立自尊」の精神を忘却してしまったかのように「他人の財」を当て込むことに汲々(きゅうきゅう)としてきたのである。
     ※
 実は、その象徴とも言われてきたのが「慶應関連病院会」の存在である。
 現在、慶應義塾大学関連病院会には、首都圏を中心に都合97の病医院が傘下として名を連ねている。東京で言えば、東京医療センター、東京都済生会中央病院など、著名な大病院が目につくが、規約に「会員は慶應義塾大学医学部三四会員で各病院(診療所)の病院長(診療所長)またはこれに準ずる者」とあるように、関連病院のトップらは慶應医学部出身の医師らで占められているのだ。
 三四会所属の有力OBの一人は「かつて慶應病院と関連病院とは『ウィンウィン』の関係にあった」として、こう解説する。
「いわゆる慶應ブランドを手に入れたい関連病院と、慶應の牙城を一つでも多くつくり上げたい慶應病院。かつては両者の利害得失が見事なまでに合致していました。その結果、関連病院の経営幹部らのほとんどが慶應医学部出身の医師で占められ、各診療科の責任者にも経営幹部らの弟子たちが次々と送り込まれて、盤石な『医学部慶應閥』が構築されてきたのです」
 ところが、厚生労働省による04年の医師臨床研修制度の抜本的な見直しによって状況が一変する。

政治・社会

くらし・健康

国際

スポーツ・芸能

対談

  • 艶もたけなわ

    田中麗奈 女優

    2018年5月20日号

    阿木燿子の艶もたけなわ/202   清涼飲料水のCMで初代イメージキャラクターを務め...

コラム