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戦後70年「沖縄戦」の無念今も...那覇新都心に息づく"都市伝説"

2015年7月 5日号
 「おもろまち」で知られる沖縄・那覇新都心。おもろまち、銘苅(めかる)など5地区にまたがる約214ヘクタールのうち、約192ヘクタールが「旧牧港米軍住宅」跡地だ。1953年、米軍に強制収用され、住宅地として使われていたが、87年に全面返還された。以降、都市整備が進み、今ではシネコンを備えた大型商業施設や免税店、高層マンションが建ち並ぶ。返還前の直接経済効果約52億円が1634億円まで激増したとして、基地返還の"成功例"として語られることも多い。
 県外の企業駐在員や観光客には人気のスポットながら、実は地元の人々はあまり足が向かない。何しろ「出る」のだ。〈銃剣を杖(つえ)代わりにした敗残兵が、水道タンクのある丘の方に歩いていった......〉などの噂(うわさ)は枚挙にいとまがない。関東から移住し、新都心で飲食店を営む40代の夫婦は言う。
「夜になると、就学前の娘が外を見る度に怯(おび)えて落ち着かない。『青い合羽(かつぱ)を着たおじさんがこっちを見ている』と言うので、窓をベニヤ板で塞いだらやっと治まった」
 おもろまちは「シュガーローフ(安里52高地)の戦闘」で知られる沖縄戦の激戦地で、米海兵隊を中心に約2600人が犠牲になった。日本側の犠牲者数は日本兵、住民を含めて把握できていない。米軍は土地造成の際、米兵の遺体は回収したが、日本人の遺体は重機で埋めたという。
 遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんは無念そうだ。
「土地造成の時、遺骨収集の機会はあった。しかし、開発業者が工期遅れを心配し、国、県も収集は済んだものと消極的だった。収集して焼香し、家族の元に返したかった」
 さまざまな噂を具志堅さんもよく耳にする。
「彼らを見かけても、忌み嫌わないでほしい。当時の若者は誰もがそうなったかもしれないのだから」
 戦後70年、今も新都心の土に眠る戦没者に思いを致すのが、性急な安保法制整備より先ではないか。
(友寄貞丸)

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