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完璧な終活 第3弾 人生を全うした日野原重明医師らに学ぶ 安らかに逝くための心得と準備

2019年3月17日号

▼誰でも生かせるその教え

▼実用性バツグン! 看取りチェックシート  

人はいつか必ず死ぬ運命にある。「死後の手続き」「死ぬ前の準備」とシリーズで終活を特集してきたが、今回は安らかに逝くための心得と準備について紹介したい。人の「生き死に」と接してきた賢人たちの話に耳を傾けると、その一端が見えてくる。

 2月23日土曜日の夜。東京都豊島区の仏教寺院「金剛院」の一室で、ワークショップ「死の体験旅行R」が始まった。
「進めていくうちに辛(つら)い思いをすることもあると思います。途中、涙が出る人もいます。あまりにも辛い場合は、無理をなさらないようにしてください」
 主宰する横浜市の浄土真宗「倶生山(ぐしょうさん)なごみ庵」住職、浦上哲也さん(45)が、そう語りかけた。この日参加したのは、20~60代ほどの男女22人。他人の視線を気にすることなく集中できるよう壁に向かって座る。名刺サイズのカード20枚が配られると、大切にしている「物」「人」「風景」「記憶」「場所」などを、参加者それぞれが記入していく。
 全員が書き終えると、照明がゆっくり落とされた。聴き心地よい音楽が流れ、浦上さんがゆっくり目を閉じるよう諭し、こう続けた。
「これはあなた自身の物語です」
 これから参加する人のために詳述は避けるが、ある日、自分が病気になり、徐々に弱って死ぬまでを体験していく。病状が進むにつれて大切なカードを1枚ずつ手放していき、最期を迎えると全てを失う。
「死の体験旅行」のもとは、欧米のホスピスで終末期医療に携わる人向けに作られたプログラムとされる。浦上さんは2013年1月から始め、この日で161回目。これまで延べ約3000人が体験したが、毎回ほぼ満席という。
「東日本大震災以降、死について考える人が増えたと感じます」(浦上さん)
「死の体験旅行」の締めくくりは、参加者同士で車座になり、最後まで残った1枚に何を書いたかを語り合う。自分の人生を見つめ、その思いを吐露する人たち。涙が涙を誘う場面もあった。
「死そのものを考えるよりも、死を通して生を考えることができました。小学校の先生を目指していて、将来の授業に生かしていきたい」(21歳男子大学生)
「友人が亡くなったり実際に死に接する中で、もう一度、定年後の人生をスタートさせるきっかけになればと参加しました。自分にとって大事なものが何かわかりました」(65歳無職女性)
 参加者の思いはさまざまだが、浦上さんはこう言う。
「死を目前にした人が直面する苦しみ、悲しみ、喪失感を通し、自分にとっての『生と死』を考え、本当に大切なものは何か再確認していく。自分と深く向き合うことができるのです」

 ◇"お迎え"を体験した医師の学び

 死を仮想体験することで、生と向き合う。それが今、静かなブームとなっている。では、実際に死が迫ったとき、その現実を本人や家族、周りの人が受け容(い)れるために必要なことは何だろうか。
「目の前に迫った死を見つめつつ、希望を持って、今を生きることです」
 そう話すのは、東京都墨田区の医師、川越厚(こう)さん(71)。在宅ホスピス緩和ケアのパイオニアで、約30年にわたってがん患者の在宅ケアに携わり、これまで約2500人の患者を在宅で看取(みと)った。その看取りの経験から「死を受容した生き方」について講演も行う川越さんだが、最近、一人の医師の死から学んだことがあるという。
 日野原重明さん。17年7月に105歳で亡くなったが、聖路加国際病院名誉院長を務め、生涯現役を貫いた医師だ。老いのあり方や患者中心の医療をやさしく伝えるとともに、長年にわたって医学教育や生活習慣病予防、終末期医療の分野で優れた業績を上げ、多くの人に惜しまれて亡くなった。その4カ月前、川越さんは日野原さんにインタビューするため、自宅を訪ねた。川越さんが言う。
「日野原先生は、死を意識し、医師としての生き方を大きく変えたきっかけは、よど号ハイジャック事件だと教えてくれました」
 1970年に起きたよど号ハイジャック事件。日野原さんは学会のため福岡に向かっていたが、飛行機が過激派の赤軍派メンバーに乗っ取られ、人質として拘束されたのだ。
「先生は当時58歳。『解放されて空港の地を踏んだときの足の感覚は今も残っている』と話されていました」(川越さん)
 それ以来、人のために生きる人生を歩むようになった日野原さん。100歳を超えても現役の医師として働き、長命社会をどのように生きるかについて身をもって示した。何歳になっても常に新しいことに挑戦し、老いのあり方を説いた著書『生きかた上手』はベストセラーに。その最期の生き方について、川越さんはこう振り返る。
「『死が怖い』と周囲に語っていたそうですが、それは死を真正面から見つめつつ生き抜いた正直な感想です。『キープ・オン・ゴーイング』(前に歩み続けよう)。常に前向きに生きることがモットーだった先生は、感謝の言葉を周囲に伝えてもいたのです」
 日野原さんの最期の希望とは、「ありがとう」の言葉を残すことだった―。そう読み解く川越さんは、死を前にして人が残す五つの言葉を次のように挙げる。
 ありがとう
 私はあなたを許す
 私を許してくれ
 あなたを愛している
 さようなら
「日野原先生は『ありがとう』を残すために最期の時を過ごされたのです」
 川越さんはそう話す。インタビューから数日後、日野原さんは誤嚥(ごえん)性肺炎で入院した。直接消化器に栄養を届ける経管栄養や胃に管を通す胃ろうを主治医から提案されたが、日野原さんはこれを拒み、自宅での療養を希望した。
「最期まで家族の輪の中で生きぬくことが死の受容につながったと思います。死の時を"共に生きる"ことを実現する。それがホスピスケアです。日野原先生の死は、その本質を教えてくれています。私も死を覚悟したことがありますが、自分自身の死に遭遇すると、人は生き方が変わります」

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