くらし・健康詳細

イチオシ
loading...

おひとりさまの在宅大往生 必読!「超高齢多死社会」の新しい流れ

2018年10月28日号

▼ピースサインで迎えるめでたいご臨終

▼医師が断言「病院よりも自宅のほうが穏やか」

▼24時間365日対応「首都圏の在宅システム」

 東京五輪・パラリンピックから5年後の2025年、人口が最も多い団塊世代が75歳を超え、超高齢多死社会が到来する。1人暮らしの高齢者が増えるのも確実だ。「おひとりさま」は一体どこで大往生するのか。住み慣れた我が家で、という願いはかなうのか。

「先生、バームクーヘン食べるか?」
「飴(あめ)ちゃんもらって食べとるで、ええよ。いま雨が降ってるから」
「ほんで飴か。ははは。先生うまいこと言うな」
 介護ベッドの周りで笑い声が広がった。10月4日、岐阜市で小笠原内科を開業する小笠原文雄医師(70)が、1人暮らしの青木マツ子さん(90)の自宅を訪ねたときのこと。
「ええ先生でね、嫁入りしたときからお世話になっていてねー」
「嫁入りしたとき、まだ僕生まれてへんわ」
 漫才のような会話が続く中、小笠原医師は寝たきりの青木さんの右手を握って離さない。手のぬくもりを感じつつ脈拍を測り、患者の目を見て病状の良しあしを観察しているのだ。
 青木さんは夫を亡くし、子どもはいない。昨年9月、転んで腰を痛めた。骨折の疑いがあり入院したが「もういやや。ここから飛び降りる。早く家に帰して」。歩けないままわずか4日で自宅に戻った後、小笠原内科による24時間対応の訪問診療が始まった。
「癒やしを提供する者は自ら癒やされないといけない。我々が笑っていると患者さんも笑う。一番長いときの往診は3時間でした」
 そう語る小笠原医師は聴診器片手に家に上がり、患者の話に耳を傾ける。1989年に開業し、これまで1300人以上を在宅で看取(みと)った。1人で暮らす「おひとりさま」の看取り数も2008年から5年間は18人だったが、13年からの5年間は38人に倍増した。
「介護保険制度ができたことと、医療・看護・介護・福祉・保険のことを理解して他職種が連携し、協働できるシステムが確立できたことが大きい。在宅医療ならお金がなくても1人で家で死ぬことができる」(小笠原医師)
 実際、08年からの5年間で自費負担したのは18人中7人(39%)だったが、13年からの5年間は38人中5人(13%)にまで減った。
 青木さんは要介護4で、生活には介助が必要だ。介護保険を利用して1日2、3回の訪問介護・看護と週1回の訪問入浴を受ける。介護保険分は1割負担で月約1万円、訪問診療は月約7000円だ。これに加え、身の回りの世話を自費負担で家政婦に頼んで月4万円。合計で約6万円になる。
「自費負担を必要としている人は好きなことをして過ごしたいと希望した人。自費負担ゼロを希望すれば、医療保険と介護保険の枠内で収めることができるはず」(同)

 ◇花見、カツ丼、酒だって飲める

 いまでこそ在宅医療のパイオニアとして全国各地で講演する小笠原医師だが、開業当初は往診を頼まれても断ろうと思っていた。でも、「妻から『患者さんが気の毒だし、開業したときの借金があるから断ったらダメ』と言われ、渋々始めた」。

 転機は開業から3年、末期がんの男性患者を看取った日だ。自宅での診察を終えると、患者の妻が小笠原医師にこう話しかけたという。
「『明日、旅に出るからかばんと靴を用意してくれ』って主人が言うんです。私も連れていってと言うと『遠い所に行くから、君は家で待っていなさい』と」
 小笠原医師は「さっきまで笑っていたのに」と戸惑いを隠せなかったが、2時間後、外来の診察中に妻から「先生、いま主人が旅立ちました」と電話があった。
「がんは苦しんで死ぬのが当たり前だと思っていたが、男性は笑顔で旅立ち、妻も喜んでいた。『最期まで家にいたい』という願いがかなうとき、目に見えないいのちの不思議さがある。在宅医療なら病院ではできないいのちのケアができる」
 そう思うようになった小笠原医師は、真摯(しんし)に在宅医療に取り組むようになった。約30年にわたる経験で、「在宅ホスピス緩和ケア」がその鍵を握ると確信している。
「『在宅』は、暮らしているところ。『ホスピス』は、いのちを見つめ、生き方・死に方、看取りのあり方を考えること。『緩和』は痛みや苦しみを和らげる。『ケア』は、人と人とが関わることで温かいものが生まれ、生きる希望が湧き、力がみなぎること」(同)
 その在宅ホスピス緩和ケアのスキルがなかったころ、在宅看取り率は50%以下だった。在宅看取り率とは、在宅で最期まで支えきれた割合のこと。スキルを身につけたいま、昨年1年間の在宅看取り数は88人で、看取り率は98%。1人暮らしの在宅看取り数は7人で、在宅看取り率100%という。
「病院だったら難しいが、ストレス空間の少ない自宅なら穏やかに笑って死ぬことができる。家族が、家で死ぬことが素晴らしいことだとわかれば、ご遺体の前で笑顔でピースもできる」
 小笠原医師が写真を見せてくれた。肺がんが脳に転移し、余命1カ月と宣告された水野千恵さん(享年66)。病院のベッドの柵にしがみついて「痛い、助けて」と苦しむ母の姿を見て、娘は小笠原内科に相談外来に訪れた。在宅ホスピス緩和ケアの説明を受け、緊急退院。ソル・メドロールの点滴やモルヒネを使い、訪問看護師が足のマッサージをすると、退院翌日に痛みが取れた。花見に行ったり、カツ丼を食べたり、水野さんは笑顔を取り戻した。
 退院から1カ月。亡くなったと連絡を受けて駆けつけた小笠原医師は、遺体の前で家族らと写真を撮った。すると、娘は涙を浮かべ、「笑顔でピース」をした。驚いた小笠原医師が「お母さんが亡くなってうれしいの?」と尋ねると、娘はこう答えたという。
「病院にいたら母は苦しんだまま死んでいったでしょう。家に帰ってからは昔の優しい母に戻りました。母にとっても家族にとっても幸せでした」
 本人の希望をかなえる―。53歳で亡くなった松尾均さんは社会人野球の元選手で、高校時代は甲子園にも出場した。サーキット場内の飲食店で働き、朝まで飲みながら接客した。大酒飲みの影響からか、糖尿病性神経障害を患い、ヘモグロビンA1cの数値が14%に悪化(基準値4・6~6・2%)。起立すると血圧が50も低下し、立っていられずバタンと倒れてしまうほどだったが、自宅で最期まで1人で暮らした。理由は「家で酒が飲みたい」。枕元には常に25度の焼酎ボトルがあった。母寿子さん(81)が振り返る。
「がんの疑いもありましたが検査をせず、それでも1年以上は生き延びました。最期は私が訪ねていったときにバタンと音がして。安らかに眠りました」
 小笠原医師が在宅患者の記録を綴(つづ)った著書『なんとめでたいご臨終』には、笑顔でピースサインをして旅立ちを見送る写真がたくさん掲載されている。「1人でも最期まで家で暮らせて100%満足」と喜ぶ母を見送った家族、「子どもや孫が死を見つめることでいのちの大切さに気づいてくれた」と喜ぶ家族......。
「その人らしい暮らしの中に、希望死・満足死・納得死がある。生まれるところは決められないが、死ぬところは自分で決める。ところ定まれば、こころ定まる。だから穏やかに死ねる」(小笠原医師)

政治・社会

くらし・健康

国際

スポーツ・芸能

対談

コラム