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1800人を見送ったホスピス医が語る「終末の真実」

2018年7月15日号

 <生と死の幸福論>

 超高齢化の次に来る「大量死」時代にあって、「人は死ぬ」ことを見据えた仕組みはいまだ貧弱に映る。ホスピスケアに携わる「野の花診療所」(鳥取市)の徳永進院長は、命の終わりを引き受ける数少ない医師の一人だ。「死」の現場では日々何が起きているのか。

(聞き手 小池政行・青山学院大大学院客員教授)

 ホスピス医の夏は短い。
「夏はここですと海がきれいですが、山陰海岸に車で行って帰るのに90分は要るんですね。その日の状況をぱーっと見てOKとなったら行くんですよ。ぽーんと海にはまるわけ。潜ってぶくぶくぶくってして、ぱっと顔を上げるとキスゲがあったり、蝉(せみ)の声が聞こえたり......。で、よっしゃといって帰るわけですね。すると"今年は夏はしたぞ"みたいに思うわけです。その間に人が亡くならなかった、やった、という感じ」
 医師は「やった」と言うところで、指をパチンと鳴らしてみせた。
 造作のない黒の長袖Tシャツ、愛嬌(あいきょう)のある白いあごひげ。鳥取市の「野の花診療所」院長、徳永進医師は人をそらさない風貌と大きな笑い声の持ち主だ。
 2001年12月、末期がんなどで余命が限られた人へのホスピスケアを担おうと開業した。翌年春に自宅で最期を迎えたい人やその家族を支える「在宅ホスピス」を開始。13年には在宅を活動の中心に据えた。これまでに約1800人を見送ってきた。単純計算で1年に100人、およそ3日に1人の頻度になる。
 医療現場で「死」は日常の風景ではあろう。だが往々にして及ばなかった治療の結果であり、敗北とも見なされがちだ。一方で近づく死から目をそらさない医師がいる。人が死ぬのにも知恵や工夫が要ることを知っている。彼らはそこからが仕事だ。いつか、しかし必ず訪れる"その時"のための臨戦態勢を崩さない。
 今回、聞き手役を務める小池政行・青山学院大法科大学院客員教授は、政治外交問題の評論で活躍する一方、医療や看護、介護には一家言ある。避けられない死や、心と体の衰えに個人や社会のシステムはどう向き合うべきか、その疑問をかねて親交のある"異色の医師"にぶつけてみようという試みだ。

 ◇現代医療は「死にゆく人」になぜ関心を払わないのか

 シリアスなテーマであっても、徳永医師は話の端々に笑いを潜り込ませる。

 徳永医師がかつて新聞に寄せた文章にこうある。
〈なぜこんなに長く、ハードな仕事を続けているのだろう、と思う。面白いから、が当たっているかもしれない。人の病気や老いが面白いのか、この不届き者、としかられそうだ。ぼくは、死こそが面白い、と抵抗する〉
 面白いから笑う、というのでは無論ない。ただ、人の死のそばに常にあることと、始終破顔してやまないこととは、どこか関係がありそうに見える。徳永医師のいう「死の面白さ」とは何なのか―。
小池 人間、みんな死にますね。
徳永 ええ、ええ。
小池 誰もが死に向かっているわけです。ところが、医学教育の目的は命を救う方法を教えることであり、命が尽きるのを手助けする医者の教育も行われていなければ、死すべき定めの人々と、先生みたいに身も心ももってして対峙(たいじ)するお医者さんもいないと。
徳永 言い過ぎ、言い過ぎ。
小池 じゃあ言い過ぎないで(笑)。たとえばレジデント(研修医)で、緩和ケアの専門医になりたいというのは......。
徳永 それは難しいでしょうね。
小池 そういう中でね、先生は野の花診療所を始められる時も土地探しから苦労されて。
徳永 よう知っとられますね。
小池 本(徳永医師の著書)に書いてありました。
徳永 涙が出る、そういうこと言われると。
小池 借金までして。
徳永 までしてって、借金せんかぎり(開業は)ありえない。借金はいいんですよ、力になる。借金がなくなった時が問題ですね。堕落が始まるんよ(笑)。

 ◇どちらも興味深い命の回復と終わり

小池 日本の医学教育にしろ、死に向き合う医者の少なさにしろ、「命を救う」ことに偏ったままでいいのか、というね。

徳永 小池先生はそう思われたってことでも、私は全面的に「そうだ!」じゃないんですよ。
小池 そこが聞きたい。
徳永 私も最初から"亡くなる人専門"にしたってわけじゃない。研修医の頃、腎不全でおしっこが出なくなった患者さんに透析をしたら出だしてですね、よどんだおしっこだったけど、とにかく出たわけです。普通、おしっことかうんちは汚いものと思われますが、医療の現場では喜びに値する時があるんですね。ぜいぜいいっていた肺水腫が、おしっこが出ると治まってくるんですね。はーはーときれいな呼吸音に変わる。医療の原点はやっぱり、生命が回復するっていうところだと思うんですね。それは間違いない。
小池 治る、または治すことに医者の喜びがある。
徳永 なのに患者さんが亡くなるとなったら、医者はなぜ急に興ざめになって逃げていくのか、と小池先生は怒られるわけですが、変な言い方ですが、私はどっちも興味深いというか、面白いというか、貴重だという感じなんです。
 単に「死の教育」をすることが大事なのではなく、「生の教育」すなわち患者さんが回復していかれるためのテクニックを教えることは値打ちなんです。それが根本なんだと思うんですよ。ただ逆に、患者さんが死に向かう場面が、医者にとって急に違ったものになるのか、とも思います。

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