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埼玉「芸術監督就任」の舞台裏 故蜷川幸雄氏と堀威夫氏の縁

2016年6月 5日号

 5月12日に80歳で逝去した文化勲章受章者で演出家の蜷川幸雄氏。今なお、国内外から「世界のニナガワ」の死を悼む声が絶えない。
 筆者もかつて埼玉県芸術文化振興財団の常務理事として、蜷川氏を財団の芸術監督に招聘(しようへい)する活動の一端を担ったことがある。短い期間だったが、蜷川氏の演劇に寄せる真摯(しんし)な姿に接することができたことは忘れ得ない。<br>
「世界に注目される演劇を発信する劇場の芸術監督は蜷川氏しかいない」というのが、上田清司知事と竹内文則理事長の信念だった。蜷川氏も財団の主力劇場「彩の国さいたま芸術劇場」で1998年からシェークスピア作品を上演しており、自身が埼玉県川口市出身ということもあり、深い愛情を注いでいただいた。
 しかし、多忙を極める蜷川氏に芸術監督を引き受けてもらうのは容易ではない。そこで支援の手を差し伸べてくれたのが、蜷川氏を陰で支えるホリプロのファウンダー最高顧問・堀威夫(たけお)氏とスタッフたち。当時、ホリプロの女性専務がほぼ専属で蜷川氏をサポートしていた。
 堀氏の蜷川氏に寄せる思いは仕事の枠を超えた深いものが感じられ、その堀氏が上田知事や財団の意を汲(く)んで、蜷川氏の芸術監督就任要請を支援、蜷川氏も快く引き受けてくれた。その時、蜷川氏から聞いたのが「彩の国さいたま芸術劇場は、稽古(けいこ)場が本番の舞台と同じ広さで、演出家としてこれ以上のことはない」という一言。小劇場から始まり、稽古場の確保にも苦労した若き日の蜷川氏の素顔が見えたような瞬間だった。
 蜷川氏は芸術監督就任後、即座に55歳以上の高齢者だけで構成する劇団「さいたまゴールド・シアター」を創立、海外からも応募があり、蜷川氏は全員のオーディションに立ち会ったと聞く。
 演劇の原点を最後まで忘れない人だった。合掌。
(森岡英樹)

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