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国際 広島で被爆者を抱きしめたゲバラ 原爆忌に寄せる「キューバの祈り」

2016年9月 4日号

 2016年8月6日。中南米のカリブ海に浮かぶ島国・キューバで、今年もまた原爆投下で命を落とした広島、長崎の犠牲者らを追悼する市民による集いが開かれた。1994年から続く行事だ。
 キューバの人々の原爆の被害や平和への関心の源をたどると、背景にはキューバ革命(1959年1月)の英雄として、来年没後50年を迎えるチェ・ゲバラ(1928~67年)の存在があった。
「ヒロシマ・ナガサキの犠牲者を悼む集い」は、首都ハバナ市の「カジョ・ウエソ」と呼ばれる地区にある「平和の小路」で開かれる。幅5メートル、奥行き50メートルほどの路地は、20世紀初めに建てられたという3階建てのコロニアル調の集合住宅に三方を囲まれている。行き止まりになった先の建物の壁面には、平和の象徴・ハトが大きく描かれている。
「このイベントは、このコミュニティーの皆さんの協力によって続けられている。1945年に行われたあの残虐な行為を、今年もまた思い起こそう。平和は学びであり、指導であり、教育だ。だからこそ、ヒロシマ・ナガサキは、キューバ人としてだけでなく、世界の一市民として重要に感じるのである」
 創設メンバーの一人で歴史家のグラシエラ・グティエレスさん(80)の力強い挨拶(あいさつ)で集いは始まった。子どもたちを対象にした平和の絵のコンテストの表彰や、平和の詩の朗読、子どもたちが得意の歌を披露するなど50人ほどが参加。15歳の女の子は「あんな悲惨なことは二度とあってはならない」と言い切った。集いは1時間ほどで終わったが、同地区で子どもの学習活動に取り組む「子どもたちの家」の運営に当たるマリア・エスピノサさん(58)は「続けることが大切だ」と話した。
「原爆の日」が近づくと、キューバでも原爆関係の報道が多くなる。今年も国営放送は広島での式典をニュースとして取り上げ、キューバ共産党機関紙『グランマ』も関連記事を掲載した。また、世界史の授業でも学ぶため、多くの国民が8月6日と9日が原爆の日だと知っているという。
 なぜなのか。
 キューバと被爆地との縁は1959年に遡(さかのぼ)る。革命を達成したばかりのフィデル・カストロ前国家評議会議長は、ゲバラを団長とする6人の親善使節団をアジア・アフリカ諸国へ送るが、訪問国の一つに日本を選んだ。ゲバラとともに広島に行った副団長のオマル・フェルナンデス氏(86)は、原爆病院で目にした光景を今も鮮明に覚えている。
「原爆病院には腕や脚がない人、精神を患い隔離されている人、白血病に苦しむ人があふれていた。病院を出ると、ある婦人に出会った。原爆が投下された時、彼女には2人の子どもがいて、もう1人妊娠していた。彼女は生まれた子どもを母乳で育てたが、汚染された乳を飲み続け死んでしまった。チェは悲しい顔をし、彼女を抱きしめた。日本人の案内人からは、『うつるから』と止められたが、構わず抱きしめ続けていた」。
 医師であるゲバラらしいエピソードである。帰国後、ゲバラはテレビ番組や機関紙を通じて広島で見てきた衝撃を「原爆資料館では、胸を引き裂かれるような光景を見ることができる」などと伝え、カストロにも訪問を勧めたという。実際、カストロは2003年3月に広島を訪れている。集い自体も今年からハバナ市の別の地区でも計画されるなど広がりを見せている。
 1962年のキューバ危機で、危うく2番目の被爆国になりかねなかったキューバ。それだけに、地球の反対側から寄せる平和への祈りは深いのかもしれない。
(臺宏士)

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