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青い空白い雲
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教育現場の半嘘! 二宮金次郎は読みながら歩いたのか?

2019年3月24日号

牧太郎の青い空白い雲/710 

 一定の年齢に達すると、人間「どう生きるか?」より「どう死ぬか?」に興味が集中する。だから"死生観本"の類いが売れる。
 最近「ホスピスケアの達人」と言われる方の本を読んだ。
「人は生きてきたように死んでいく。しっかり生きてきた人はしっかり死んでいく。周りに不平を言いながら生きてきた人は私たちスタッフに不平を言いながら亡くなっていく。感謝しながら生きてきた人は感謝しながら、ベタベタ生きてきた人はベタベタと死んでいく。これまでの生きざまが死にみごとに反映する。よき死を死すためには、よき生を生きねばならない」と書いてある。
 その通りだ!
 神様はお見通しだ。悪者はロクな死に方をしない!と一瞬、そう思ったが......果たして、そうだろうか?
 しっかり生きた人はしっかり死んでいく―のだろうか? 正義の人、少なくとも「善意の人」は十分な医療を受けて、穏やかに、安らかに死を迎えたのか?
 そんなことは断じてない。
 僕の周辺では、真面目に、しっかり生きた友人のほとんどが(がんの転移に右往左往したりして)無残に早死にしている。しっかり生きなければならない!とは思う。そうしたい。でも......「死」は(人の生き様と無関係に)無残なものではないのか? 「しっかり生きた人はしっかり死ぬ」という死生観は正しい!とは思うが......「半分、嘘(うそ)」ではあるまいか?
    ×  ×  ×
「しっかり生きる」ということは......二宮金次郎のように(道徳的に)正しく生きる!ということなのだろうか?
 江戸時代後期、今の小田原市郊外の農家に生まれた二宮金次郎は父親が病弱で、極貧の少年期を過ごしたが、親を助け、弟たちの面倒を見て、両親の死後は「勤労」と「勤勉」で家を再興した。「しっかり生きた」代表的な人物である。明治、大正の頃の教科書には、明治天皇や皇族以外で、もっとも多く取り上げられたのが二宮金次郎。その頃、学校には金次郎の「薪を背負いながら本を読んで歩く姿」の銅像が建てられていた。
    ×  ×  ×
 二宮金次郎が教科書に登場したのは「教育勅語」と深く関係する。1890(明治23)年10月30日、明治政府は大日本帝国憲法の施行を前に「教育勅語」を発布した。
 内容は......「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、(略)学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」!
 小学校などでは「奉読式」なるものが行われ、児童は明治天皇の御真影に頭を下げ「教育勅語」を読み上げた。
 二宮金次郎の銅像は「教育勅語」のシンボルだった。
 でも、本当に、歩きながら本を読んだのだろうか?
 最近になって「負薪読書図」と呼ばれる姿の、金次郎の銅像は半分、嘘!と気づいた。
 文献が残っていた。明治14(1881)年発行の『報徳記』には「大学の書を懐にして、途中歩みなから是を誦し、少も怠らず」とある。コレが「負薪読書」の根拠なのだが「書を懐にして」というのは、ごく普通に考えると「懐中」という意味である。「読みながら」という意味ではないだろう。(昨今、スマホを見ながら歩く人も多いから)歩きながら勉強することは可能だと思うが、この文献から見れば「歩きながら暗唱する」が正しい。
 金次郎の「負薪読書」の銅像ははっきり言えば「半嘘」なのだ。
    ×  ×  ×
 安倍政権の下、小学校で「特別の教科・道徳」の授業が始まって1年経(た)つ。教科書が使用され、通知表にも記載される正規の教科になった。そして、一部の教科書が「二宮尊徳(金次郎)」を取り上げ、検定に合格している。
 それでいいのか? 
 道徳教育を全て否定するわけではないが、並の人間、そう簡単に「しっかりと立派に生きること」は難しい。しっかり生きても、不幸に、不運に泣くのが人生じゃないか? 僕は「しっかり生きても、しっかり死ねない」のが当たり前、と思っている。
 人間一人一人の個性や自由を抑えつける「二宮金次郎的道徳教育」に反対だ。全体のために自己犠牲を求める教育なんて......「半嘘」じゃないか?

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