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青い空白い雲
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「天皇」は政治的発言を過度に自粛する必要はない!

2018年12月 2日号

牧太郎の青い空白い雲/695 

 2018年もあとわずか。記憶に残る出来事が多い年だったが、その中でも、美智子皇后の「平成最後の誕生日談話」は一生、忘れないと思う。

【また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ、マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ、陛下の御田(おた)の近くに一畳にも満たない広さの畠があり、そこにマクワウリが幾つかなっているのを見、大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げる物だからと仰せで、6月の大祓(おおはらい)の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田(かでん)に踏み入るところでした。それ以来、いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました】
   ×   ×   ×
 天皇に対する畏敬(いけい)、退位後は静かに過ごしたい、という美智子さまの「思い」がにじみ出ている。が、気になったのは「大変な瓜田に踏み入るところでした」という言葉だった。
 宮内庁のホームページには「(参考)」として、こんな"解説"が添えられていた。
【「大変な瓜田に踏み入るところでした」
 広く知られている言い習わしに「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず」(瓜畑(うりばたけ)で靴を履(は)き直すと瓜を盗むのかと疑われるのですべきではないとの意から、疑念を招くような行為は避けるようにとの戒め)がある】
「瓜田に履を納れず」の後には「李下(りか)に冠を正さず」と続く。
 当方の勝手な想像だが、森友学園、加計(かけ)学園をめぐる一連の疑惑で、安倍首相は「無関係だ」と言い続けているが、美智子さまは「本当なの?」とお思いになったのではあるまいか? そこで「指導者は疑惑を持たれたらお終(しま)いですよ」と言われたのではあるまいか?
 美智子さまの談話以降も片山さつき地方創生相の「100万円口利き疑惑」が浮上している。まさに「瓜田に履を納れず」の"教え"を忘れた政治家ばかりだ。
    ×  ×  ×
 憲法で「日本国民統合の象徴」と規定される天皇は「政治発言」を避けていらっしゃる。
 しかし、歴史的に見れば1947(昭和22)年に日本国憲法が施行されるまで、天皇は「日本の正統な統治者」だった。天照大神(あまてらすおおみかみ)の「天壌無窮の神勅」によって、天皇がこの国を永遠に治めるとされていた。だから「天皇」は他国のキングとは違う。
 例えば中国である。初めて中国全土を統一した人物が「秦の始皇帝」と名乗った。しかし、彼の子孫が中国を治めたわけではない。死後、秦は滅ぼされ、劉邦(りゅうほう)という男が「漢」を建てた。
 中国の「皇帝」は身分が低かろうが、外国人であろうが、戦争に勝てば、誰でも「皇帝」になれた。劉邦は自作農の倅(せがれ)だった。明を興した朱元璋(しゅげんしょう)は貧農の末っ子だった。誰でも「皇帝」になれた。
 日本は違う。「神の子」のDNAがなければ「天皇」になれない。だから藤原道長は「関白」という名前の「天皇の代理人」であり、源頼朝は「征夷(せいい)大将軍」という「天皇の代理人」だった。
 確かに、奈良、平安の初めごろは政治・祭祀(さいし)の頂点だった天皇は、時代がくだるにしたがい「政治的実権」を失っていった。しかし、江戸末期、尊王論が高まり、王政復古の大号令を経て明治憲法による近代天皇制に繋(つな)がった。
    ×  ×  ×
 日本国憲法は"曖昧"である。誰が「国家元首」なのか、それが曖昧なのだ。
 象徴天皇を元首とする説、実質的機能を重視して、内閣(または、その長である内閣総理大臣)を元首とする説、元首は不在!とする説。「主権者は国民。天皇は主権者の一員でもない」という説まである。
 しかし、もし「天皇」が存在しなければ、国家としての「対外的な代表」はいなくなり、国会の召集も、法律の公布も、首相の任命もできなくなる。
 私は「日本国憲法による天皇」も"極めて重要な政治的存在"と思う。一方で天皇陛下は"自由な発言"を自粛されている。
 美智子さまの「マクワウリの話」はギリギリの表現で「今の政治に対する自由な感想」を述べられたのだろう。
 前回、天皇は光格天皇に学び「生前退位」を主張された、と書いた。"ロクな報告"もしない「安倍1強政治」に天皇は(静かではあるが)果敢に抵抗された!と思う。
 それにしても(政治家の一部が「安倍首相が王様!」と勘違いする昨今)、「天皇」にはもっと「自由な発言」が認められるべきだ!
 断っておくが、当方、右翼でも左翼でもない。ごく普通の日本人だ。

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