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青い空白い雲
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「どうせなら今上天皇から勲章を頂きたい」という本音

2018年2月11日号

牧太郎の青い空白い雲/655 

 もう30年も前のことだ。
「大先輩のために一肌脱げ!」と言われた。
 誰に言われたのか? それは言いづらい。自慢できるような「頼み」ではなかったからだ。
「一肌脱げって、何でしょう?」
「勲章だよ」
 当時、某私立大学の副理事長になっていた「大先輩」のために「勲章」を貰(もら)う手伝いをしてほしいんだ。お前なら、生存者叙勲に力のある政治家を知っているだろう? ということだった。
 仕方がない。人を介して「勲章に強い文教族議員」と"依頼者"が食事を共にする機会を作った。でも、意外だったのは、"依頼者"が頼んだのは、「大先輩の叙勲」ではなく、その大学の現理事長、つまり「大先輩のライバル」に対する勲章だった。
"依頼者"は叙勲を機に、現理事長を引退させる魂胆だった。
 この企(たくら)みの結果は?
 現理事長は「叙勲はもっと後にしてほしい」と言ったらしい。
 どうやら「功成り名遂げた人物」は勲章は大好きだが、「できるだけ後に!」と思うらしい。
 ところが、である。平成30年はちょっと違うらしい。
「どうせなら、今年、勲章が欲しい」
 という声が各省庁に殺到しているというのだ。
    ×  ×  ×
 だいたい、「勲章」って誰のためにあるんだろう?
 そのヒントは「日本初の勲章」とされる「薩摩琉球国勲章」に隠されている。
 1867年のパリ万博。徳川幕府のほかに薩摩藩、佐賀藩が自分たちのブースを持っていた。
 倒幕を旗印にしていた薩摩藩は、
「幕府と薩摩藩には主従関係はない! 薩摩藩は独立した存在である!」
 という印象を諸外国に与えたかった。知恵を授けたのが、フランス人モンブラン伯爵。「西洋の独立国には勲章というものがある」とアドバイスした。
 薩摩藩は、このアドバイスを受け入れ、万博のかなり前から水面下で根回し。
 万博の最中、フランスの高官に薩摩琉球国勲章をプレゼントした。これが最初の「日本の勲章」であるらしい。
 それに気がついた江戸幕府は大慌てで「葵(あおい)勲章」を造ろうとしたが、万博閉幕までには間に合わなかった。
「勲章」というものは、"受ける者"のためではなく、権力側の都合で存在するものなのだ。
    ×  ×  ×
 生存者に対する勲章の授与は、1946年5月3日の閣議決定で、一時停止。63年7月12日の閣議決定で再開されることになった。
 もちろん、自民党政権が「勲章」をばらまき、選挙で勝つための「工夫」だった。
 その後、現在に至るまで春秋叙勲として毎年2回、春は4月29日付で、秋は11月3日付で授与される。
 誰が受章するか?を決めるのは「特定の政治家」と各省庁の官僚である。
 勲章にはランクがある。
 大勲位菊花章、桐花大綬章、旭日大綬章及び瑞宝大綬章は宮中で、天皇陛下から親授される。その下の旭日重光章及び瑞宝重光章は内閣総理大臣から伝達される。中綬章等の勲章並びに銀杯及び木杯は、各大臣等から伝達。いずれの場合も受章者は勲章を着用し、配偶者同伴で天皇陛下に拝謁する。これが、最大の栄誉になる。
 これはこれで結構ではあるが、天皇陛下が「政権」のために利用されている面もあるのかもしれない。
    ×  ×  ×
 密(ひそ)かに「どうせ貰うのなら、今上天皇から勲章を!」と思っている人々がたくさんいる。各省庁の担当部署は困り果てているらしい。
 来春、退位される天皇陛下にとって、記念すべき「最後の叙勲」である。
 陛下のお人柄を慕う日本人なら、どうせ貰うのなら、今上陛下から......と思うのは当然だろう。
 退位されるまで約1年。いろいろなハプニングが次々に起こりそうだ。

 ◆太郎の青空スポット
 浜岡砂丘の風紋
 大平洋・遠州灘の東端、静岡県御前崎は「日本のハワイ」。ウインドサーファーの憧れの聖地だが、そこからクルマで10分足らずところに「浜岡砂丘」がある。海と風でできた「風紋」が美しい。
 2月、白砂公園のカワヅザクラ並木が見ごろになる。春はもうすぐそこだ。御前崎市観光協会0548―63―2001

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