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青い空白い雲
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「国体」を連発する"貴乃花ナショナリズム"の恐怖?

2018年1月28日号

牧太郎の青い空 白い雲 653

 大相撲の騒動は一段落するまで、書くつもりはなかった。

 なぜなら、「国技」なんて偉そうなことを言っても「大ゲンカが売り」の職業集団。奇麗ごとが通用する世界ではないからだ。
 歴史をひもとけば、相撲は武士が鎧(よろい)を着たまま戦う、通称「武者相撲」なる実戦訓練の一種。「戦争ごっこ」のようなものだった。
 その一方で、奈良・平安の昔には「相撲節会(すまひのせちえ)」なる宮中行事が存在した。五穀豊穣(ほうじょう)を祈り、四股を踏む。「演出込みの力自慢ショー」。これが巡業などで行われる「花相撲」に受け継がれている。相撲は「芸能」でもあった。
「江戸の相撲」は寺社がカネを集める「勧進相撲」。
 1624年、四谷塩町・長善寺で、明石志賀之助が始めたのが最初の相撲興行。たちまち人気になったが、勝敗を巡って力士・観客の喧嘩(けんか)が絶えず、また「(当時、反幕府だった)浪人集団との結びつきが強い」という理由で、1648年ごろから、たびたび禁止令が出た。この頃から、相撲は「カネが絡む興行」になった。
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 カネが絡むと大喧嘩になる。浪曲「天保水滸伝・大利根河原の決闘」をご存じだろうか?
 主人公「笹川繁蔵」は江戸相撲・千賀ノ浦の弟子。しこ名が「岩瀬川」。喧嘩相手の「飯岡助五郎」は、年寄「友綱」の弟子。2人とも引退後、相撲勧進元になり、下総の「興行権」を争った。
 景気づけに、繁蔵は大前田英五郎、国定忠治、清水次郎長という大親分を集め、花会(サイコロばくち)を開いている(天保13〈1842〉年7月27日)。江戸時代「相撲」はヤクザの資金源だった。
 伝記『東海遊侠伝』で、"男の中の男"として描かれた「吉良の仁吉」を筆頭に、大前田英五郎、江戸屋虎五郎、法印大五郎......。
 大親分はなぜか、草相撲の横綱だった。
 ヤクザが絡めば喧嘩は付き物である。わざと喧嘩を演出して、相撲人気を煽(あお)ったこともある。
「め組の喧嘩」(1805年3月)をご存じだろうか?
 力士と町火消し「め組」の鳶職(とびしょく)の乱闘事件。芝神明宮境内で開催中だった相撲の春場所を、め組の鳶職・辰五郎と長次郎、その知人の富士松が無銭見物しようとしたのが喧嘩の発端。火消し衆は、火の見やぐらの早鐘まで鳴らして仲間に動員をかける。
 火消し衆は江戸町奉行、相撲側は寺社奉行と、それぞれを管轄する役所へ訴え出て、事態はさらにエスカレートした。結局、与力、同心が出動して乱闘に割って入って、火消しと力士合計36人が捕縛された。
 歴史をひもとけば、大相撲は「神事」であり「芸能」であり「興行」。しかも「喧嘩の火種」。近代スポーツとは縁遠い。
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 そんな「特異な世界の喧嘩」だから、この欄では、何を書いても仕方ない!と決めていたのだが......日馬富士の暴行事件が「貴乃花vs.白鵬」に発展してから、気になる言葉が登場した。
「国体」という言葉である。
 完黙を貫く貴乃花親方は、支援者だけに「(相撲協会は)国体を担う団体。日本を取り戻すことのみが、私の大義であり、大道」(『週刊朝日』12月22日号「貴乃花親方の『逆襲宣言』」より抜粋)などとメッセージを送っている。
「国体」とは、日本を「万世一系の天皇」によって支えられた「特殊の国柄」と捉える主張である。
 戦前、日本の指導者は「国体」という言葉を使って、他国と比べて、わが国の優越的な立場を主張した。そして、日本は第二次大戦で、300万人の犠牲者を出した。
「国体」は誤ったナショナリズムの主張である。
「陛下の御守護をいたすのが力士の天命」と貴乃花親方は考えていると聞く。 明治以来、大相撲が「国技」と言い出したのは、税制面で有利な扱いを受けるためだが......逆に、大相撲を国威発揚に利用する人々が存在する。
 不安である。

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