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人生の四季
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「小倉から小笠原流を広める」

2017年12月 3日号

 一条真也の「人生の四季」106

父である佐久間進が新刊『礼道の「かたち」』(PHP研究所)を上梓(じょうし)した。父は、わたしが社長を務める冠婚葬祭会社の会長であると同時に、礼法家でもある。小笠原流礼法糾方的伝総師範にして、実践礼道小笠原流宗匠を名乗っている。
 父が礼法の師範であったことから、小笠原家ゆかりの小倉生まれのわたしは幼少期より小笠原流礼法第三十二代宗家の小笠原忠統(ただむね)先生に師事、後に免許皆伝を許された。
 小笠原流礼法の歴史は鎌倉時代にまでさかのぼり、武家作法として始まり、発展していった。小笠原家では、弓馬の法を代々嫡子に伝えたが、室町時代の七代貞宗(さだむね)のときに礼法が加えられ、弓・馬・礼の三法をもって小笠原の現代へとつながる伝統の基盤ができあがったのである。
 貞宗は南北朝時代に後醍醐天皇に仕え、「小笠原は日本武士の定式たるべし」という御手判を賜り、併せて家紋として「王」の字の紋を賜ったが、これが小笠原家の三階菱(さんがいびし)だ。
 また、十八代の貞慶(さだよし)は、「三議一統」後に加えられた記述をし、武家礼法を「小笠原礼書七冊」としてまとめた。
 貞慶の子である秀政(ひでまさ)は、大坂夏の陣にて長男と共に戦死するが、次男の忠真(ただざね)がその功により、松本から播州明石11万石を経て、豊前小倉15万石の領主となった。ここに小倉の地と小笠原家との深い縁が始まる。
 小笠原流礼法は一日にして成ったものではない。連綿とした歴史の流れの中で形づくられ、今日まで伝えられてきたものである。それは、多くの人々がその合理性を認めていたからではないだろうか。
 現代社会においても、人と人とのコミュニケーションを円滑に進めるためには「礼儀作法・マナー」は大切な心得となる。人々の「こころ」を「かたち」に表した礼儀作法は、わたしたち日本人の大切な文化のひとつである。この素晴らしい文化を絶やすことなく後世に伝えていくため、わたしは今後も小倉の地で小笠原流を広めていきたいと思う。

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