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青い空白い雲
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安倍首相に読ませたい「日本国憲法の手本・民権数え唄」

2017年12月 3日号

牧太郎の青い空白い雲 646 

 安倍1強独裁政治を徹底批判する「安倍首相に読ませたい」シリーズの第5弾は、「民権数え唄」。千葉県は銚子の民謡「大漁節」の「一つとせ~」のメロディで、スタートする。
 一つとせ~ 人の上には人ぞなき 権利に変わりがないからは コノ人じゃもの
 二つとせ~ ふたつとない我が命 捨てても自由の為(ため)ならば コノ厭(いと)やせぬ
 三つとせ~ 民権自由の世の中に まだ目のさめない人がある コノ哀れさよ
 四つとせ~ 世の開けゆくその速さ 親が子供におしえられ コノかなしさよ
 五つとせ~ 五つに分かれし 五大洲(しゅう) 中にも亜細亜は半開化 コノ悲しさよ
 六つとせ~ 昔思えば亜米利加の 独立したのもむしろ旗 コノ勇ましや
「数え唄」の作者は明治初期の民権壮士・植木枝盛(えもり)(1857~92)。この「数え唄」が主張するのは自由平等、主権在民......極めて政治的だが「何か」に似ていないか?
 そう、これは戦後誕生した「日本国憲法」にそっくりなのだ。
    ×  ×  ×
「植木枝盛」とは、どんな人物だったのか?
 土佐藩士・植木直枝(小姓組格、4人扶持(ぶち)24石)の嫡男として安政4年、土佐(現在の高知市)に生まれた。8歳から習字を学んだ頭脳明晰(めいせき)。征韓論政変に触発されて、明治8(1875)年、19歳で上京。慶應義塾の「三田演説会」に頻繁に通い、福澤諭吉に師事した。
 筆が立つ。『東京日日新聞』(現在の『毎日新聞』)などを舞台に、「自由民権」運動を展開。国会開設を要求し、民権理論の普及に生涯を懸けたが、なぜか36歳の若さで病没してしまった。言うなれば「明治初期のリベラル派ジャーナリスト」ということか。
 彼にはもう一つ「歴史的文書」が残されている。「東洋大日本國國憲按(とうようだいにほんこくこっけんあん)」である。「大日本帝国憲法」が発布(1889年2月11日)されたより早く、彼は「憲法」を作っていた。
 調べてみると福澤諭吉の日本最初の実業家社交クラブ「交詢社(こうじゅんしゃ)」などが68の「私擬憲法案」(私的に考える憲法案)を作っているが、その中で、植木枝盛が起草した220条の「國憲按」(1881年)が最も民主、急進的。自由平等だけでなく、国民の抵抗権や革命権などを定めていた。150年近く前に、市民の側に立った憲法案が存在した。意外だった。
「天皇主権」を目指す明治政府からすれば、「人民主権」の思想は邪魔だったのだろう。1887年に発布・施行された保安条例で、私擬憲法を作成することは禁じられ、政府主導でプロイセン憲法をもとに大日本帝国憲法が誕生した。
    ×  ×  ×
 安倍さんに、歴史から消された「民権数え唄」「東洋大日本國國憲按」を読んでもらいたいのは、彼が「日本国憲法はアメリカの押し付け!」と主張するからである。本当に日本国憲法はアメリカ人が作ったものなのか?
 大日本帝国が第二次大戦で連合国に降伏。連合国軍総司令部(GHQ)は大日本帝国憲法の改正を日本に求めた。幣原喜重郎内閣は意図的に改憲作業をサボっていたが、マッカーサーは「このままではソ連の横槍(よこやり)が入る」と心配して、「天皇を権力のない象徴にする方針」を示し、極秘にGHQ案を作成した。そこまでは間違いない。
 しかし、そのベースとなったのは、この「東洋大日本國國憲按」を参考にした日本人作成の憲法草案だといわれている。
 そこにある「日本人民ハ思想ノ自由ヲ有ス」「日本人民ハ如何ナル宗教ヲ信スルモ自由ナリ」などは、そのまま、日本国憲法に採用された。そればかりか、「選挙権の男女平等」「不服従の権利」「死刑廃止」まで明記していたのだ。
    ×  ×  ×
 安倍さん、勉強してくれ!
 日本国憲法はアメリカ人だけの発想ではない。「天皇主権ではなく人民主権!」と主張したのは、「民権数え唄」「東洋大日本國國憲按」の明治人だった。
 そうそう、植木枝盛は、明治25年、第2回衆院選を前に胃潰瘍の悪化により36歳で死去しているが、いまだに毒殺説がある。
 権力者を徹底批判するには「覚悟」が必要なのだろう。

 社会部、政治部を経て『サンデー毎日』編集長に。宇野宗佑首相の女性醜聞やオウム真理教問題を取り上げる。現在、毎日新聞客員編集委員。ブログに「

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