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人生の四季
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「グリーフケアの言葉」

2017年11月19日号

一条真也の「人生の四季」104

 今年も上智大学で講義を行った。同大学のグリーフケア研究所の人材養成講座科目「グリーフケアと人間学」の連続講義に出講したのである。
 連続講義の第1部は「葬儀」、第2部は「映画」をテーマに話し、講義後は宗教学者で同研究所の所長である島薗(しまぞの)進先生とのトークタイム、そして受講生からの質問を受けた。
 最後に、宗教哲学者で同研究所の特任教授である鎌田東二先生から、「今日の講義の内容には感銘を受けましたが、一点だけ承服できない点があります」との発言があった。
 その発言とは、アメリカのグリーフケア・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉をもとにして、わたしがアレンジした次の言葉だ。
「親を亡くした人は、過去を失う。配偶者を亡くした人は、現在を失う。子を亡くした人は、未来を失う。恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」
 この言葉に対し、鎌田先生は「それは一面的なものであり、死別イコール喪失ではないはず」と言われた。
 それを最後列の席で聴いておられた前所長の高木慶子(たかきよしこ)先生も、「それは単なる言葉です。親がどうとか、配偶者がどうとかは関係ありません。誰が亡くなっても悲しいものですよ」と言われた。死別の悲しみには種類も差も存在しないというのである。
 高木先生は、自ら阪神・淡路大震災、JR西日本の脱線事故、そして東日本大震災で深い悲しみを背負った方々の心のケアに取り組まれてきた日本のグリーフケアの第一人者だ。
 わたしは「誰が亡くなっても悲しい」という高木先生の、カトリックの深い信仰心からのお言葉に触れ、深い感銘を受けた。悲しいのは家族の死だけではないというのだ。
 その一方で、「誰が亡くなっても悲しくない」という時代の訪れも感じる。直葬に代表される葬儀の簡略化が進んでいる。その流れの中で、年老いた親の死を隠す人が多くなってきた。家族が亡くなっても縁者に知らせない「愛」のない時代である。

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