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サンデー時評
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「安倍1強」に潮目の変化 豊洲、森友の意味するもの

2017年3月26日号

倉重篤郎のサンデー時評 105

 世の中、不思議なものである。安倍1強の風向きが微妙に変わってきた。
 東の「豊洲」、西の「森友」という二つの疑惑が、その原因である。いずれも、公有地の売買をめぐり、政治が中立であるべき行政を捻(ね)じ曲げたのではないか、との疑いが持たれている。今のところ、安倍晋三政権の屋台骨にこれといった揺らぎは出ていない。だが、気をつけたほうがいい。税金の無駄遣いは古今東西、民が最も嫌う行為であり、スキャンダル報道はメディア間の競争に拍車をかけ燎原(りょうげん)の火のように権力をも焼き尽くすことがあるからだ。
 その怖さに気づいていない権力者が2人いる。
 1人は元権力者と呼ぶべきか。石原慎太郎氏である。石原氏が先日、日本記者クラブで記者会見したのを聞いていてそう思った。
 石原氏は、東の疑惑、つまり、東京都が築地市場移転のため東京ガス保有の豊洲用地を購入した件で、矢面に立たされている人物だ。当時の知事として、今回自ら会見を申し出てきた。
「座して死を待つつもりはない」というのがその理由だった。すべて真実を語ります、という触れ込みもあり、300人を超える報道陣が集まった。
 確かに石原氏は、一つだけ重要な指摘をした。それは、小池百合子知事の不作為責任である。自分には移転先決定、土地購入にサインした行政上の作為責任はあるが、小池知事には豊洲移転を凍結したままその後の決断をせず、市場関係者を混乱に陥らせ、かつランニングコストをいたずらに膨らませている、と指弾したのだ。
 石原氏が、小池知事を責める資格がどこまであるかは別にして、豊洲問題を最終的にどう落とすのか。つまり、豊洲移転を白紙撤回するのか、それとも豊洲に移転するのか、という悩ましい決断をすべき時がいずれ来る。その時は小池さん、あなたが全政治責任を負った決断をしなくてはならないんですよ、と。この問いかけは正しい。小池ブームもいずれさめる時がくる。皆においしい決断をできるわけでもない。その政治のリアリズムを先輩知事として言い置く義務を行使した、と受け止めたい。

 ◇道義的な責任は免れない─それに気づかない安倍首相

 ただし、それ以外は、他者に責任の尻を押しつけんとする見苦しい発言が多かった。やれ役人がああした、議会も同調した、云々(うんぬん)である。中でも小池知事に対する怨念(おんねん)の深さは聞いてる方が戸惑うほどであった。いきおい、事実関係の整理が甘くなった。特に、メディアが疑惑の核心とした東ガスに対する瑕疵(かし)担保条件の免除という特典を誰が、いつ、どうやって決めたか、という経過については、何ら具体的事実を提示できなかった。
 多分石原氏には言い分があったことであろう。東ガスとの交渉を任せていた浜渦武生副知事に事前に聞きただしていれば、この会見でもそれなりに整合性のある説明ができていた可能性がある。それを怠り、自分の言いたいことだけを発信し、その結果、疑惑の傷口を広げ、老政治家が必要以上に晩節を汚すことになってしまった。
 スキャンダル政局の怖さを軽んじているように見えるもう1人の権力者は、安倍晋三氏である。
 西の「森友」問題がこれほどの大問題になるとは多分思ってもみなかったのではないか。それは当初のこの問題の答弁で明らかだ。森友への国有地払い下げや学校認可について、自分も昭恵夫人も何ら一切関与したことはない。だから、もしそんな事実が出てきたら首相どころか国会議員も辞めますよ、と早々とタンカを切った。
 それはその通りであろう。首相がそんな細かい口利きをするわけがない。事務所としてもそんな陳情には取り合わなかった、というのが真相であろう。ただ、安倍氏が見逃していることが二つある。
 一つは、森友問題のわかりやすさである。9億円との鑑定が出た国有地がゴミ問題を理由に1億、8億と値を下げ、最終的に国庫には200万円しか入らなかったこと。そして、教育勅語を暗唱させ、「安倍首相ガンバレ」と言わせる教育方針に対する素朴な疑問。これが、メディアと国民世論にどれだけの関心を呼ぶかについての想像力が欠けていた。自ら法的、政治的に無関係であれば、いずれ安倍1強の下、メディアも材料を失っておとなしくなるだろう、との安直な構えが墓穴を掘った。
 土地払い下げをした近畿財務局も、学校認可を一時前向きに検討した大阪府も、森友側に都合のいい対応をしていた疑いはぬぐえない。ではなぜそうなったのか。これについての納得のいく回答が出るまでは、この問題はくすぶり続ける、ということになる。
 鴻池祥肇参院議員ら政治家の介在が役所側にプレッシャーを与えたのか、それとも、役所側が勝手に安倍案件と忖度(そんたく)してサービスをしたのか。あるいは、まだ表に出ていない勢力の影響によるものなのか。それはこれからの解明を待ちたい。ただ、それが結果的にどういうことであったとしても、安倍首相の道義的な責任は免れない。というのが、安倍氏が気づいていない二つ目の論点である。
 ノブレス・オブリージュという言葉がある。権力の保持には責任が伴うことを指す。今の政治家に決定的に欠けている資質である。
 安倍氏にはそこまでは望まない。ただし、首相夫人である昭恵氏が名誉校長という事実上の広告塔として使われた。寄付金集めや役所対策に利用されていた公算が大である。その1点で、国政の最高責任者としてモラル面での責任は免れない。なぜそんな当たり前の対処ができないのか。周辺もそう諫言(かんげん)できないのか。そこに安倍政治の意外な脆(もろ)さがのぞいている。

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