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サンデー時評
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浅井愼平 写真家

2017年1月 1日号

阿木燿子の艶もたけなわ 135

 写真家・浅井愼平さんは、ニュースショーのコメンテーターでもすっかりおなじみ。ビートルズ来日時の"密着取材"で知られていますが、写真以外にも映画監督や文芸、俳句とマルチな才能を発揮しています。しかも、今もなおジーパンが似合う若々しさが魅力。そんな浅井さんの「年齢の重ね方」について、たっぷりとご教示願いました。

 ◇この年齢になっても、物分かりのいい、出来上がった大人にはなりたくない。

 ◇ビートルズは、記録としてではなく、ひとつの表現としてお撮りになりたかった?

 ◇そうですね。だから、その中には、彼等の使ったグラスや灰皿を写したりとかね。

阿木 お変わりなくいらっしゃって。
浅井 そんなことないですけど、おかげさまで元気です。
阿木 今日は、いい年の取り方をしていらっしゃる人生の先達に、どうしたらそんなふうに軽やかに年齢を重ねられるのか、お伺いしたいなと。
浅井 もし、そう言っていただけるなら、僕自身、すっきり生きたいという気持ちが強いからかもしれませんね。なるべく余分なものを持ちたくないので。
阿木 私、70の大台に乗った時、かなり強く意識したんです。残された時間はそう長くはないなと。だったら、今やれることはちゃんとやらなければ、と思いました。
浅井 僕の敬愛する人に作家の山田風太郎さんがいらっしゃるんですが、晩年お目にかかったら、こうおっしゃってて。「君、60代は坂を下りてゆくけど、70になると坂を転げるよ」って。その時はそういうもんですか、とお答えしたんですね。で、別に転げ落ちてはいませんけど、ある節目から、時間に対する感性が変わりますね。もったいない使い方は出来ないなと思うようになりました。
阿木 山田風太郎さんって、お名前通り、飄々(ひょうひょう)とした方だったんですか?
浅井 ええ、風のような人でしたね。山田さんは常々、臨終に際して、「あー、面白かった。おしまい」と言って亡くなりたいって、おっしゃってたらしいんです。で、お宅に伺ったら戒名に「風々院風々風々居士」ってあったので、奥様にお尋ねしたら、やはりご本人の命名だということでしたね。位牌(いはい)にこの文字を見た時、山田さんは、ご自分の生き方を貫かれたんだなと感じて、改めて凄(すご)い人だなと思いましたね。
阿木 素敵ですね。そんなふうに生き切れたら。人生のダイナミズムを知り尽くした方でないと、そんなことは言えない。
浅井 いきなり来ますか、そこから今日は(笑)。
阿木 はい。だって今日は、人生の達人にいろいろ教えを請おうと思っているので。この年齢になると、やたら時間の経(た)つのが早くて。同じ一年でも、昔と今では、使い勝手がまるで違いますね。
浅井 年齢のせいもあるかもしれませんが、時代ですね。時代が疾走している感じですよね。
阿木 そういえば、今年はビートルズが来日して50年。あの騒動が昨日のことのように思い出されますが、浅井さんは何かとお忙しかったのでは?
浅井 僕が撮った彼らの写真が、ロンドンのジェネシス出版から出るんです。当時は、そんなことが後々、起ころうなんて夢にも思っていなかったので、もうびっくりしました。
阿木 50年といえば、半世紀前。そう思うと、ビートルズの偉大さを改めて感じますね。
浅井 僕らの時代が良かったか悪かったか分からないですけど、疾走する時代と共に生きたからこそ、ポップス出身のビートルズがクラシックになってゆくさまを、リアルタイムで見ることが出来た。このスピードの速さは、20世紀前半の人達には、経験できなかったことだと思うんです。答えが出るのが早いというか。さまざまな変化を、この目で確かめられたことは、ラッキーでしたね。
阿木 私達、ひとつの歴史の証人ということですよね。
浅井 そうです。ある意味、さまざまな価値観の変換期だったのかもしれませんね。当時、僕が撮った彼らの写真は、写真じゃない、って言われましたからね。
阿木 どういう意味で?
浅井 あの頃はまだ写真という媒体自体が、表現の方法論を探っていた時代なので、僕のような若くて生意気な写真家は認めてもらえない。それまでの写真のセオリーにないことを僕がやるもので、風当たりも強かったですね。たとえば風景ひとつ撮るにしても、リアリティーを追うのではなく、ハイキー(注)に撮ったり、ローキーに撮ったり。ビートルズの時も、僕が見た、感じた彼らをフィルムに収めたいという思いが強くあって、それに対する評価が"写真じゃない"ということになったんでしょうね。
阿木 ドキュメント、つまり記録としてではなく、ひとつの表現としてお撮りになりたかった?
浅井 そうですね、あくまで僕という人間が見た、出会ったビートルズの印象をフィルムに残したかったんです。だから、その中にはメンバーの写真ではなく、彼らの使ったグラスや灰皿を写したりとかね。
阿木 こういう言い方をしたら失礼かもしれませんが、当時、浅井さんはカメラマンとしてはまだ駆け出しですよね。大御所がたくさんいらっしゃる中、どういう経緯でこのお話が?
浅井 今でこそビートルズは伝説になりましたけれど、当時はまだ音楽的には認められていなかったんです。センセーショナルな存在ではありましたが、いわゆる良識ある大人の目から見ると、不良の集団だと思われていたんです。ある高名な作曲家は、彼らの作る楽曲は音楽じゃないと言ってましたし、某作家に至っては、サルだとまで言い切ってました。で、主催者側が専任カメラマンを決めるに当たって、それに相応(ふさわ)しいヤツということで、僕が撮ることになったんだと思います。
阿木 当時の有識者と呼ばれる人達が、過剰な反応を示して、どこの馬の骨か分からない輩(やから)に武道館を貸していいのか、みたいな論争が沸き上がりましたよね。
浅井 ビートルズの時もそうなんですが、アーティストは才能もさることながら、運も必要だと思うんです。振り返ってみれば、僕には人生で何度か、運命としか言いようのない出会いがあり、僕の能力とは別のところで、神様が面白がってくれてたんじゃないかっていう感じで。それがあって、今の僕が居るわけですからね。ビートルズは僕にとって、夢中に生きた時代の証しみたいなものですね。
阿木 確かに運って、人生を決める1番目のファクターだったりしますよね。私の知り合いのカメラマンで、大きな仕事、それもロケーションのたびに雨が降るアンラッキーな人が居て。いつしか彼には、雨男という噂(うわさ)が立って、大成しなかったんです。本人の実力もその程度だったのかもしれませんが、何だか気の毒だなと思って。
浅井 僕は天気のことは心配しないんです。というのも、もともとロケハンが嫌いなので。それをしたところで当日、同じ天気にはなりませんからね。ピーカン(快晴)の時にロケハンに行って、あれも撮りたい、これも撮りたいと思っても、撮影日が曇天だったら、そうはいきません。それならいっそ、ロケハンなどせずに、その時々の"一期一会"を大事にしたほうがいい。そうすると、思ってもみなかった一枚が撮れたりするんです。
阿木 "災い転じて福"の発想ですね。
浅井 そうです。たとえば

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