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サンデー時評
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70年目の広島から考える 米国とはどう向き合うか

2015年8月23日号

倉重篤郎のサンデー時評 連載65

 旅にはお伴(とも)の本が必要だ。
 ドイツ、イスラエル和解取材の際に持ち歩いたのは『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』(文藝春秋)だった。著者の堀川惠子さんは元広島テレビ放送の報道記者。10年前にフリーになり『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)、『教誨師(きようかいし)』(講談社)とたて続けに優れたノンフィクションを発表している。
 今回は、家族ら21人を原爆で亡くした佐伯敏子さんの物語であった。あの日、佐伯さんは広島市郊外で被ばくを逃れたが、爆心地近くに住んでいた母を捜し求めて3日間火の海をさまよい歩いた。
 身体や顔をパンパンに膨れあがらせた人の波。道という道は死体と怪我(けが)人で埋まっている。進むにはその体を踏み越えていくしかない。「助けて」「熱い」「痛い」。うめき声も聞こえたが、構うどころではなかった。
 学校の体育館や教室には、負傷者が重なり合うようにして横たわっていた。口々に「殺してくれ」と叫んだり、狂ったように笑ったり泣いたり、まさに阿鼻叫喚。この中からどうやって母を捜せるか。やけどで顔形は無理だが、声なら判別できる。佐伯さんは横たわる怪我人一人一人の足先を順々に力いっぱい踏みつけて回った。
 それでもわからない。結局、母が焼けただれた頭蓋骨(ずがいこつ)で見つかったのは1カ月後。骨に付着した特有のツケ髷(まげ)と眼鏡で確認できた。
 現世の地獄とでもいうべきこのリアリズム。ナチによるユダヤ人虐殺の歴史を訪ねる旅と、どこかで呼応するものがあった。戦争の行きつく果てに人類が迷い込んだ極限の道とでもいおうか。
 佐伯さんの話に戻ると、そういった体験が佐伯さんの戦後を運命づけた。7万人といわれる死者たちの遺骨を納めた原爆供養塔の守り手になったのだ。誰から頼まれたわけでもない。毎日掃除に通い、修学旅行生には語り部をつとめた。そのうちに、あることに気がついた。死者についての名前、住所、発見場所などを記したメモが塔内にあるのに、その遺骨が遺族に引き取られていないことである。
 佐伯さんは半年がかりで8冊のノートを作り、遺族捜しを始めた。家の黒電話で何軒もの同姓の人々にダイヤルする手仕事だったが、偶然や奇跡も重なり、無縁仏扱いされていたいくつもの遺骨が遺族の元に帰ることができた。

 ◇正当化された原爆投下、米国の都合で決定し日本が従う図は今も...

 物語はここで終わらない。今年96歳の佐伯さん(保健施設で療養中)の仕事を46歳の堀川さんが引き継いだ。名前、住所のデータがありながらなお遺族の元に戻れない816人分(2013年段階)について、堀川さんが記者としての調査能力をフル動員した。5人は突き止めたが、意外なほどにてこずった。それもそのはず、調べていくうち、そもそもの一次情報の信ぴょう性に疑問符がついた。
 原爆投下直後に動員され救助活動に当たったのが、戦争末期に密(ひそ)かに組織されていた少年兵による特攻部隊だったことを割り出した。その何人かに取材した結果、彼らが日々大量な死体の処理に追われていたこと、その際に身元の確認と記入を命じられていたこと、当時10代の彼らが地名もろくに知らない土地で、息も絶え絶えの重傷者から正確に情報を聞き写すことが困難だったことがわかった。
 ある意味語り尽くされたテーマにまだこれだけの厚みのある物語が隠されていたとは驚きだった。
 と同時に広島については、なお残された論点があると考える。それは、米国の原爆投下責任である。この人類初の非道行為に対する総括は十分に行われたのだろうか。もちろん、ユダヤ人がナチを責めるようなわけにはいかないことは承知している。ただ、それを正当化するあらゆる理屈に真に納得できていない、どこかわだかまりを抱き続けている、というのが私たち日本人の実情ではないか。
「天皇と軍隊」という映画についても語りたい。渡辺謙一監督がフランスで2009年に製作したドキュメンタリーだ(東京・「ポレポレ東中野」で上映中。順次公開)。
 天皇を真正面から扱うことが日本の映画・放送業界では困難なため外国で作り、かつ6年後の日本公開となった、という解説も聞いたが、天皇制を否定するイデオロギッシュなものではなかった。専制天皇制を象徴天皇制として残すためにマッカーサーがいかに奮闘したか。憲法9条はその代償であり、いわばコインの裏表だったが、天皇と軍隊というこの基本システムが戦後いかに変遷を遂げてきたか、を淡々と描いたものだ。
 私にとっては、昭和天皇と広島をめぐる二つの映像が気になった。一つは、天皇が人間宣言の後、1947年に広島巡幸した際のもので、広島市民の熱狂的な歓迎に対し、高台から帽子を振って応える姿である。遠く前方には骨組みだけになった原爆ドームが望める。もう一つは、75年の記者会見で、天皇が原爆投下について「こういう戦争中のことですから、どうも広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことだと私は思っています」と語ったところである。
 なぜ、米国が敵国の元首たる昭和天皇を残したのか。日本人の天皇崇拝をその占領統治に利用した、というのが通説だ。ただし、スコープを原爆投下というところに引きつけると、よりその戦略性が浮かび上がりはしないだろうか。
 そんなことを思いながら、この夏のテーマである新安保法制、辺野古新基地、70年談話の成り行きを見ている。原爆投下も天皇の存続決定も随分昔のことになった。ただし、米国が自らの統治の都合から決定し、日本が唯々諾々と従う構図は共通している。日本がこの夏真剣に向き合うべき相手は、実は中国以上に米国なのである。
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 ■人物略歴
 ◇倉重篤郎(くらしげ・あつろう)
 1953年7月東京生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局。政治部、経済部。2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員

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