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沖縄 コロナ感染で死去の岡本行夫氏 敏腕外交官が基地で残した功罪

2020年5月31日号

 元外務官僚で外交評論家の岡本行夫氏が4月、新型コロナウイルスに感染し、74歳で亡くなった。報道番組でダンディーな物腰から、弁舌爽やかに日本外交を語る姿が印象的だった。

 訃報は沖縄でも大きく取り上げられた。橋本、小泉政権で首相補佐官を務め、1996年に「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」を担当し、基地所在市町村の基地負担軽減と地域振興策に2000億円超の予算を付けた。

 これら市町村の首長からの信頼は厚く、整備されたインフラには似顔絵のレリーフが掲げられている施設もある。村の面積の3分の1を米軍基地が占める伊江村は、岡本氏の功績を称(たた)え、98年に「名誉村民」を授与した。大阪や福岡のライバルを退け、2000年7月の「九州・沖縄サミット」を誘致・成功させた神がかり的な手腕も、今なお語り草になっている。

 一方、懇談会事業と引き換えに辺野古新基地建設や基地機能の強化のシナリオを描いたキーパーソンとも称された。伊江村議の名嘉實氏は「多くの事業が実現したが、失敗例が多い。ゴルフ場は現在、毎年1000万円の赤字が出ており、村の大きな財政負担になっている。造って終わりではない」と指摘する。

 琉球新報記者として外務省を担当した1988年以来、親交があった沖縄国際大の前泊博盛教授は、幾度も激論を重ねた。「辺野古基地建設を強行する姿勢に『あなたはどこの国の外交官なのか』と詰め寄ると、『私ほどの愛国者はいない。だからこそ日米関係を重視している』とやんわり返す。硬軟織り交ぜ、相手の懐に分け入る。実にタフなネゴシエーターだった」

 その上で、前泊氏は心残りを打ち明ける。「サミット誘致で見せた手腕で、沖縄の立場に立ち、米国との交渉に生かしてほしかった」。15日で本土復帰48年を迎えた沖縄が求めるのは、振興事業のアメよりも日米地位協定の改定であることは言うまでもない。

(友寄貞丸)

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